揺るがぬ信念、揺るがす概念。

今日はいよいよラウールくんも出演するTGC 2021 S/S。

出演自体が決まったのは2/21 、印象的なビジュアルとともに情報が解禁された。

t.co

 ビジュアルのテーマは「ジェンダーレス」。

テーマを目にした瞬間、ラウールくんのそのビジュアルは圧倒的な説得力をもって私の胸を突き刺してきた。

彼の表現するものは常に見る側の予想なんてはるかに超えてくることは十分承知だったのだけれど、それがわかっていても「予想できない衝撃」には備えられない。()

衝撃を受けた直後の私は嬉しい痛みに胸を押さえながら、なぜこの写真を「良い」と思ったのかひたすら考えをめぐらせた。

 

 

 

 

 

 

TGCのビジュアルを「良い」と思った理由

 ジェンダーレスを表現するにあたって、見る側に先入観を与えそうな情報を全て削ぎ落としていること。

例えば髪型や服装は性別の印象を与えやすい情報だけれど、髪はオールバックで衣類も纏っておらず余計なバイアスが一切かからない。

加えて、モノクロなのも大きなポイントだと感じる。私たちは肌の色や唇の色でどうしても男性や女性を連想してしまうからだ。そういう情報が完全に除かれたラウールくんのビジュアルは「ジェンダーレス」を視覚的に完璧に体現している、と思った。

解禁直後、「男性女性、どちらでもないように見える」「無性って感じがする」というツイートをちらほら見かけて、頷くと同時にうわーーーー!!、と叫びたくなった。

すごい。沢山の人に同じようなイメージが伝わっている。これこそ「表現」の大きな役割のひとつだし、それをやってのけるラウールくんって本当に何者なんだ。(号泣)

もちろんこのような考えとは違った印象をもった人もいるだろうし、それも表現を受け取るときの醍醐味だ。ただ、表現の「何か(テーマ)を伝える」という役割を考えると、多くの人に同じような印象を抱かせた今回のビジュアルでの表現はものすごく高度で洗練されたもので、その役割を果たすことに「成功」しているのだと思う。

企画・撮影、スタイリングするスタッフさんたちとそれに応えて表現するラウールくんとの最高の化学反応だ。

 

 

中性的なルックス“だから”できる?

ラウールくんが、ここまで「ジェンダーレス」 というテーマを体現できたのはどうしてだろう。どうしてこんなにも説得力があるのだろう。(それには先ほど記したように裏方のみなさんもその一部であり絶対に必要不可欠な要素なのだけれど、このブログではラウールくんに焦点を当てることを許してください。)

単に中性的な顔立ちだからだろうか。身も蓋もない言い方だけれど、そのような顔をもっていれば、誰でも「ジェンダーレス」を表現できるのだろうか。

確かに中性的で美しい彼の顔立ちは、「ジェンダーレス」を表す上で重要な要素だ。

けれど、中性的なルックス「だから」表現できたのかというと、決してそうではないと思う。

テーマを体現しようとする意思、それを実際に可能にしている賢さ、スキル、フィーリング。

そして何より、バイアスにとらわれることなく物事を見たり、個性を認めるラウールくん自身のパーソナリティが大きく関わっていると感じずにはいられなかった。

ということで、ラウールくんの発言から推測できる彼のパーソナリティ(とそれに対するだだ漏れの愛情)表現の関係を勝手に深読みした考察に近い妄想をしていきたいと思う。

いちオタクの妄言だと思って下さい…

 

多様性を認める価値観

 ジェンダーレスと調べると、『生物的な性差にとらわれた固定観念を持つことをやめ、社会的、文化的な性差をなくそうという考え方』とでてきた。

gooddo.jp

 上記サイトに携わるライターさん、運営会社さんの情報は1番最後に記載しておきます。

ラウールくんの考え方を追っていると、まさにその固定観念がなく、多様な個性を認める価値観をもっていることがわかる。ジェンダーレスの考え方と被るところが多くあると思う。

以下は、それが現れている私が大好きなテキストたち。

 

月刊ジュニアエラ 2020年 12月号 【教えてラウールくん!】

t.co

Q.私は身長がクラスで一番高いです。少し恥ずかしいのですが、気にしないでいるにはどうしたらいいですか?(まきんこ・小5)

A.ええっ!?背が高い女の子、めっちゃかっこいいと思う。180センチメートルくらいあってもいいくらい。俺もね、ずっと一番背が高かったけど、「1番、最高!」って思ってた(笑い)。これから抜かれるかもしれないし、1番の今を楽しんでね。

 

まきんこちゃんにはきっと「女の子は身長が低いもの」っていうバイアスがあって、実際周りは低い子が多いから「恥ずかしい」と感じるんだと思う。

けれどラウールくんにはその固定観念がなくて、かつ「かっこいい」というポジティブな言葉で消化されているのが本当に素敵だ。

ここからは話が逸れるんですが副音声的な形で愛を発散させてください…

「1番の“今”を楽しんでね。」って言葉も最高なんですよ…確かに1番ってなかなかなれるものじゃないもんね、すごいよね…

あと、“今”にフォーカスしてるところも大好き… まきんこちゃんは“今”悩んでるから。

例えば「時間が経てば周りも伸びて気にならなくなるよ」とか言われちゃうと「今の苦しい気持ちはどうしたらいい…?」ってちょっともやもやしちゃうかもしれない。長い目で見ることももちろん大事なんだけど。

 

anan No.2234

ただ僕ね、それぞれに見合った体の形とか質があると思うんです。周りが痩せてるから…とかって全然気にしなくていいと思うし、体づくりに興味がなければやらなくていい。自分の理想を目指してほしいよね。

 

 

 

 

 

 

好き(ついに堂々と漏れ出たバカデカ感情) 

 …というか、本当に凄い。

この号のSnow Manへの質問テーマは「トレーニングに励む人へのメッセージ」。それなのにラウールくんは「そもそもトレーニングをするかどうかも人それぞれ」と言っている。 

枠にとらわれず限りなく多様な可能性に目を向けている。

…??君の視点はどこにあるの??宇宙なの??

まあもはやラウールくん自身が宇宙だと思っているので納得はいくけれど(?)

そしてここでも「それぞれに見合った体の形とか質」「自分の理想を目指してほしい」という発言からわかるように、個性が意識されている。

 

月刊ザテレビジョン 3月号

ふっかさんの、「センターになんてなれなかったぞ。下手から2番目くらい」という言葉に対して、

それもすごいじゃん

 

 

 

 

 

 

号 泣   (もはや隠す気もない)

短い一言だけど個性を認めて肯定するラウールくんのパーソナリティがにじみ出ている。

(また話がそれますが)それ“も”… ラウールくんは相手も肯定してるし自分のことも肯定してるんですよね。これも実は難しいと思うんだけど、ほかのインタビュー読んでてもできてることがわかる。本当にすごい事だと思う。

 

 

揺るがぬ信念、揺るがす概念。

 こんな風に、一貫して多様性や個性に目を向けて認める価値観。

それに加えてラウールくんには「表現したい」という強い意識がある。

それらは外野に何を言われようと決して揺らぐことのないもので、「信念」とも言えるものだと思っている。

私は、これが彼の根底にあるからこそあの「ジェンダーレス」というテーマを体現できたのだと信じている。

むしろこういうものをもったラウールくんに合わせてこのテーマが採用されたのかなと、思ってしまうくらいだ。

 

今回、多様性や個性を認める価値観と表現や生き方に対する強い信念が、世の中にある「ジェンダー」という概念を考え直させる表現になった。

けれど、ラウールくんのその生き様が誰かの先入観を覆すことは今に始まったことではないと思う。

例えば、ラウールくんに自分が持つアイドルの固定観念を壊された人も多いはずだ。

ラウールくんの、次世代を象徴するスターの快進撃はもうすでに始まっているのだ。

決して揺るがぬ信念を持って突き進むその人は、これからもきっと世界にあるいろんな概念を揺るがしてくれる。

その瞬間を目撃できることに感謝して、勇気をもらって生きていきたいと思う。

 

 

 

 

こんなひとりよがり&激重感情のブログをここまで読んでくださったあなたは天使です!ありがとうございます!(;;)

あなたの明日が幸せなものになりますように:-)

 

 

 

 

参考

ジェンダーレス」の意味を確認し直すにあたって参考にしたサイトに携わるライターの方、そして運営会社さんについてのリンクです。信憑性がありそうかどうか、簡単に確認しました。

gooddo.jp

gooddo.jp

 

anan No.2234も今ふとAmazonのぞいたら在庫ありましたのでよかったら~!(アフィリエイトとかではないです)

www.amazon.co.jp

あと、ここまで読んでくださっている方々は菩薩だと思うので怒らないと信じて宣伝します。私がラウールくんと同じくらい敬愛してやまない平手友梨奈ちゃんという人も108Pからのっています。一部ラウールくんと似たようなことを言ってて(別のメディアでは完全に被ってる発言もあります)ラ担には特にぶっささると思うのでお時間ありましたらぜひ(長い)(これで終わる)(どんな終わり方なん??)

 

 

その表現、あまりにも饒舌。

先日、2021年3月3日発売予定のDVD・Blu-raySnow Man ASIA TOUR 2D.2D.」から「D.D.」がSnow Manのアーティストチャンネルで公開された。


Snow Man「D.D.」(from「Snow Man ASIA TOUR 2D.2D.」)

 

この動画を見て、大好きな人の表現を受け取って感じたことを言葉で表したくなりひとまず書き出したところ、いつものごとくとてもとても長くなってしまった。

 

そんな時はたいていふせったーに頼っていたのだけれど、どうもあの読みにくい感じが好きになれなかったし、ずっと推しに対する気持ちをその時納得できる文章にしてまとめたものを作りたかったので、じゃあブログかなあと。

 

 

ということでスタ―――ト!!

 

 

 

 

ラウールくんの「全力」

言葉にはいろいろな意味があって、人それぞれの解釈が存在する。

「全力」という言葉もきっと使う人によってどのような状態を指すのか違ってくる。

例えば、ある人の「全力」は、後に控えるスケジュールに使う体力の温存をかんがみた上で目の前の出来事に注げる「全力」なのかもしれないし、

またある人の「全力」は、本人は「全力」だと思っているけれど実は体に大きな反動がこないように無意識にセーブされた「全力」なのかもしれない。

これらは全く悪いことではないし、むしろ素晴らしいことだと思う。きちんと自分の身体を管理できているということだから。

 

でも、Snow Man ASIA TOUR 2D.2D.オーラスでD.D.を踊っているラウールくんから伝わってきたのは、その類の「全力」ではなかった。

ほんとうに、あの時点で彼の身体に残っている力を余すことなく注ぎきっている「全力」だった。そのあとのことなんて、考えていないように見えた。

あの公演では、D.D.は確かセットリストの中盤に差しかかる少し前だったと記憶している。見返したら案の定だった。

 

avex.jp

いや始まって5曲目やないかい!!

数えたら、D.D.の後には17曲も控えていた。歌唱だけの曲や収録された映像による曲があったにしても、Boogie Woogie Baby、Storiesをはじめとするダンスナンバーが何曲も残っている。それなのにあの出力。

ダンス素人の私からしても「これ、セトリラスト、なんならアンコールでのパワーの出し方でしょ、、」と思う。

でも、それがきっとラウールくんの「全力」の意味するところなのだ。

向き合ったその一瞬一瞬に自分がもてる限りの力を出し切る。主観的・客観的、どちらの視点からみても出せる力が底をついていたとしても、その底をぶち破ってさらにエネルギーを掘り起こしぶつける。

個人的にラウールくんの「全力」はそういうイメージだ。

 

ラウールくんの「全力」を感じたシーン

あのパフォーマンスを観た人みんな、彼の「全力」を踊り方の端々から感じると思うのだけれど、私が特に驚かされた箇所を記しておく。


※下記のURL、なぜかDance Practice以外時間指定ができていません。申し訳ありませんが自力で秒数を合わせていただけますと幸いです。

 

1:25

https://www.youtube.com/watch?v=LNSh0JHUfgg?t=1m25s

「淘汰の先にある未来へ」で前に飛び出して来るラウールくん。腕ちぎれて飛んでいきそうで怖い。

 

1:38

https://www.youtube.com/watch?v=LNSh0JHUfgg?t=1m38s

「Hey you, let me go!」で大砲を撃つ(ように見える)ラウールくん。もはや君がバズーカ。

そしてその後「Just follow me」の直前でなんと、上半身を腰の位置まで下げてる。

この振りに見覚えがなかったのでD.D. のDance Practice動画を見返すと上半身は起きていたし、ASIA TOURの方では音に合わせて体を下げたので、アドリブでアレンジをしたのだと思う。

1:42 

www.youtube.com

 

それにしたって、上半身を腰まで下げる??普段でも制御するのがきっと大変なその体を、、、より負荷がかかるような動かし方をするの??

体力がとっくに限界で、しかもまだ披露する曲がたくさんあるあの状況で??

形容しがたい衝撃と尊さ。

 

2:37

https://www.youtube.com/watch?v=LNSh0JHUfgg?t=2m37s

「淘汰の先にある未来へ」制御されながらも激しく揺さぶられる腕と頭。

「へ」の部分で、目を丸くするほどの高さと距離を跳んでる…。

当日見ていた時も、「え?!」と仰天したのを覚えている。

ここだって、こんなに思いっきり跳躍しなくたってパフォーマンスはできる。

それでも跳ぶ。それがラウールくんの「全力」なのだ、と思う。

 

 その表現、あまりにも饒舌。

 ラウールくんの放つ表現は、ほんとうに多くのことを語りかけてくれていると感じる。

 それは時に楽曲のコンセプトであったり、楽曲に登場する人物の感情そのものであったり、ラウールくん自身の感情だったりする。

今回私がラウールくんのパフォーマンスから受け取ったのは、「全力でやりきる意志」と「感謝」、そして「ラウールくんという人の生き様」だった。

 ASIA TOURでラウールくんは、その瞬間ごとに持てる力を惜しみなく「全力」でパフォーマンスに注いでくれた。人間には100%の力は出せないというけれど、あのときのラウールくんは100なんて数字、ゆうに超えていたんじゃないかと思う。

そして、彼にそこまで力を出させた原動力は、おそらく周りの人たちへの感謝の気持ちだったんじゃないだろうか。RIDE ON TIMEで映し出されたASIA TOURの打ち合わせでの「感謝を伝えようとなったら曲で表現できてるのかなって」という発言や、オーラスの前半で「感謝を表現させてください」と言ってくれたことから、彼が彼を支える周囲の人たちへの感謝をパフォーマンスを通して伝えようとしてくれたことは想像に難くない。感謝の気持ちを表すひとつの手段としてラウールくんは、自分にできるだけの全力を尽くすという形をとったんじゃないだろうか。少なくとも私は、すでに満身創痍のその体でもなおパフォーマンスに挑む姿に、彼の内に秘める思いの大きさを見た。

 自分が発信した言葉や抱いている思いを、その時もてる限りの力を振り絞って十分すぎるほどに表現にぶつける。ここから浮かび上がってくるラウールくんの生き様は、とても誠実で、清らかで、美しく、尊かった。

 

彼は人より考えていることを言葉にする人だと思うのだけれど、その言葉が表現に還元されたとき、発言された言葉が含んでいる意味や説得力が何十倍、何百倍にも増幅しているように感じる。有言実行という言葉があるけど、ラウールくんの場合有言と実行の比が1:∞のイメージだ。実行の部分が測定不能になるのはひとえに彼が注ぎ込む力の大きさと、ラウールくんの「実行」の手段が表現であるからだ。表現でアウトプットされる思いは、見た人の数だけ解釈の数がある。ラウールくんが詰め込む思いと、受け手がそこから感じ取るものが、ラウールくんの表現に無数の言葉を語らせているのだと思う。だから、彼の表現は他のなにとも比べられないくらい饒舌だ。

 

 表現を受け取った、その先に

 ラウールくんの言葉や表現を受け取ったあとは、いつも自分の生き方について考えざるをえない。ラウールくんが清らかにまっすぐに全力で生きている姿には、「さあ、あなたはどう生きる」と問われている気分に、勝手になる。

正直、今は人に胸を張って言える正解なんてない。ずっといろんなことを考えているけど、全部を投げ出したくて諦めたくてたまらない。

それでもなんとか、それじゃだめだ、変わらなきゃだめだと思えるのは、大好きで尊敬するラウールくんが全力で生きているからだ。

変わることは難しい。けれど、誰かから力をもらいながらなら、難しくても進める気がする。私にとってラウールくんはそういう存在だ。ほんとうに、出会えてよかった。

ほんとうにほんとうにありがとう。

ラウールくんが放つものに触れて刺激を受けながら、前を向いて、少しずつでも進める生き方をしたいと思う。

 

 

もしもここまで読んでくださった方がいらっしゃったのなら、ほんとうにありがとうございます。ほぼ自分用の文章で、もし共感してくださる方がいらっしゃったらすごいなあ、いいな、くらいの気持ちなので読みにくかったと思いますし自分語りみたいなのもちょっと入っちゃってます。お時間かけてこんなものを読んでくださってありがとうございました。あなたの明日が幸せな日になりますように!

 

追記

入れよう入れようと思って入れるの忘れてた話。

D.D.の最後、いつもなら左手のこぶしを握りしめて終わるんだけど、オーラスではピース作って2回前につき出していた。

私にはそれが「やったよ!やりきったよ!」って言っているように聞こえた。

 カメラの向こう側にいるファンの存在を信じて、意識してくれているんだろうなと思えてとても嬉しかった。

ラウールくん、無観客のイベントでたびたび「僕にはほんとにお客さんがみえましたね」って言ってくれる印象があるんだけど、(一番はっきり覚えてるのは2020TGC S/S  そのときはこの子ファンサうまいな~くらいの印象だった)D.D.のピースサインをみて  ああ、きっとほんとにみえてるんだろうな、と感じた。

 誠実でまっすぐなラウールくんが今日も好き。